2011年3月21日月曜日

ここ数日

大震災後、ここ数日は体が揺れるような感じがして不安でした。テレビの映像も直視できないようなものです。生身の人間の許容範囲にも限界がありますから、、。それに計画停電、ガソリンの不足といままでの生活がすべてストップするような事態です。
家に閉じこもり、気分の憂鬱、ただただ頑張ってと念じるのも力不足のかぎりです。
いつものように生活する。いつものようにおだやかな気持ちで過ごす。心がけてはいるものの、被災者の方々の不幸に申し訳なさだけが、こころにひっかかります。
そしてダーリンはせっせとオイルランプ作りに熱中しました。停電に備えて、簡単に誰にでも作れて、安全はランプ。行灯のように油を燃やして明かりにできないか。江戸時代の行灯を目指します。灯芯はティッシュペーパーで出来る事が分かりました。それを受ける物は最初は油に浮くものを考えて、オイルフロートの仕組みを作りましたが、けっこうこれが手間がかかります。そこでこんどはスチールウールの台所たわしを薄くして丸め、そこに灯芯をさし、小皿に入れて、そこにサラダオイルを流し込めば、ランプになります。これはいいというので、彼は作り方をプリントして私が実物を持って、ご近所に配りました。大変喜ばれました。しかし、スチールたわしがなかったらどうするの?というので、彼はさらに研究を重ね、ついにアルミフォイルで灯芯を挟み込み、これをくるくるまいてコイルにして小皿に置き、オイルを注いで、ランプになる事を実験し、約3時間は燃え続けることが実証されたのです。
すばらしい。?
さらに、これは簡単で小さくて、封筒にも入れられるので、早速、親戚一同に送る事にしました。ちょっと熱が入りすぎたようですが、なんだかこの数日、家に閉じ込められているようだったので、彼はこれに集中したのだと思います。私もまとまった読書をしようとしました。黒鉄ヒロシの「千思万考」面白かったです。日本の歴史の主要人物、とくに近代の指導者のコラムでしたが、日本人の素晴しさに感銘しました。私たちは彼らの子孫です。今一度、この国の歴史を深く学ばねばと思いました。

2011年3月16日水曜日

震災の言葉

3月11日の大地震、大津波、原発事故、余震、これが大惨事だという衝撃におののき、不安がつのり、息苦しくなります。
日本列島が何か得体の知れない力に覆われ、壊されそうになっているようです。
平常の生活を心がけ、冷静にそして、微笑みを絶やさないようにしたいです。
気持ちは揺れ動き不安ですが、大丈夫だよ。と言いたいです。
震災という言葉はあの戦争を連想させます。スーパーで出会った年配の女性は「戦争の時を思えば、外地にいた方を思えば、大丈夫。食べ物がなくなっても、畑があるわ。どうにかなるわ」とおしゃっていました。さすが戦中派といわれる方々は肝がすわってます。おろおろスーパーで買いあさる人に「ここは、困っている人のために買い控える方が大切よ」と諭されました。
日本人の我慢強さ、思いやる気持ち、礼儀正しく、恥を知る心、大切に思います。


2011年3月12日土曜日

巨大地震

3月11日午後2時46分 三陸沖を震源とするマグニチュード8.8の地震が発生しました。さらに巨大津波が東北地方の東海岸の諸都市を襲い、壊滅的な被害をもたらしました。多くの町は全滅のようです。地震には慣れている日本ですが、さすがにこれだけ広範囲に及ぶ地震でかつ大津波では死者の数も想像出来ません。
私は職場で仕事中でしたが、おおきな横揺れが5分以上つづいたと思います。おそろしくて立っていられませんでした。音も聞こえたように思います。空も真っ暗でこの世の終わりかと思いました。
自分のまわりが全て混乱して目が回るような気持ちになりましたし、動悸もはげしくなり、息も苦しくなりました。胃は痛みだし、頭痛もして来ました。それでも30分ほどで収まったような気になりましたが、余震も続き、とても安心出来ませんでした。気持ちを落ち着けるのは,本当に時間がかかります。帰宅は自家用車でラジオを聞きながら運転して来ましたが、まるでいつもとは違う様子でしたし、私も不安でいっぱいでした。家に着くと、大きな破損はなく。台所に蜂蜜の容器が落ちていて、蜂蜜が床に流れているだけでした。本箱、食器棚等は大丈夫でした。電気も、水道も電話も通常どおりだったので、よかったと安堵しました。
夫からは家に電話があり、今夜は交通機関が全て不通になっているので、役所に泊まることにした、との事でした。娘は会社の手配したレンタカーで同僚と相乗りでアパートに向かうというメールが入りました。おばあちゃんのところへ行くと、地震の直後はマッサージに人が来ていて心強かったようです。なんの被害もありませんでした。
私は一人で夜を過ごしたが、余震が時々あって、ゆっくり眠れませんでした。本当に不安でおそろしい夜でした。
夜中の3時に娘は無事にアパートに着いたという連絡がありました。夫は翌日、電車を乗り継ぎ、埼玉に住む私の妹の車で送ってもらい、帰ってくる事が出来ました。
このような地震は初めての経験です。これからいろいろ被害が明らかになると、歴史的な大惨事ということになると思います。