2011年12月25日日曜日

はじめての朝粥

今日はクリスマス。娘が小さい頃はこの日の朝は大騒ぎでした。プレゼントに大喜びとは限りませんでした。サンタさんは時にプレゼントを間違うこともあったようです。でも、この日の朝は特別でした。
ところで、昨日の朝、クリスマスイブは座禅でスタートしました。この日にお寺で座禅というのも、おかしなものですが、住職はいつものようにすでに座ってお られました。本堂はすきま風に底冷えする寒さです。素足の足先は感覚もなくなります。そして、目の前の住職の衣のひだがサンタクロースらしき老人の顔に見 えてしかたありません。さらにさして来る陽の光はステンドグラスから差し込むように思えて来ました。雑念ばかりの座禅でした。終わるとしびれは足全体にお よび、とても立ち上がれません。往生しました。その後、住職の説法がありました。今日は「縁」についてです。縁は保つ努力を怠ればすぐに切れてしまうもの だと言う事でした。そうですね。血縁でさえそうなのですから、まして、知らぬ者同士の縁はつなぐこともさる事ながら結び続けることは至難のことです。大震 災があった今年はそれを深く感じます。
そして、最後に朝粥をごちそうになりました。はじめてです。とても美味しかったです。あたたかいお粥にごま塩にたくあん、うめぼし、大根の煮物と精進ですが、胃の腑にゆっくり染み渡る味わいでした。お米はやはり美味しいです。それだけで滋養があるように思いました。今年はこのお米の事も心配しながらたべるなんて悲しいです。
来年は穏やかで平和な一年であってほしいと切に願いました。

2011年12月12日月曜日

大都会 東京

ほんとうに久しぶりに東京に出かけました。新宿は30年ぶりでしょうか。新宿副都心として西口の大規模開発が始まったころ、大学生だったので、出かけたこ とはありましたが、まだ西口は薄暗くて、ぶっそうな感じがしました。京王プラザホテルなんてカッコよかったですもの。それにしてもあれから何十年もたつのに、東京の混雑、人の多さはいっこうに解決してい ないのですね。むしろ昔よりひどくなっているように思います。過疎の田舎と、過密の都会の落差を深刻に感じます。また、デパートの食品売り場の混雑にも驚 きました。12月の週末とはこんなものなのでしょうね。そして、ホームに溢れる人、人、人。
夫はここに何十年も通勤し、私たち家族を支えてくれ たのかと思うと、感慨深いものです。知らなかったとは言いませんが、この通勤地獄が彼の寿命を縮めてはいまいかと、不安になります。そして、愚痴ひとつ言 わずに仕事を真面目に勤めあげ、さらに今も働き続けるダーリンに私はあらためて感謝し、いたわるべきであると痛感しました。
私が気楽に働き続け、娘が安心して成長できたのも、このような夫、父の働き続ける苦行のような毎日の上にあったのだと、知る事が出来ました。
そして、私は都会の女にはとうていなれなかった。のだと思いました。

2011年10月22日土曜日

はじめての座禅

今日ははじめて座禅をしました。朝7時、雨のふる肌寒い朝です。早起きしたのですが、大慌てでお寺の本堂へ、。すでに皆さん座っています。やがて合図のお りんの音で座禅は始まります。誰の声もしません。はじめは目線や姿勢が定まりません。外の鳥の声がうるさく感じます。まだ薄暗い本堂は肌寒いです。線香の 香でしょうか、落ち着いた気持ちになって来ました。そして、なんて贅沢な時間を私は味わっているのだろう、と感じました。なんの制約も強制も目的もない。 ただ座っていればいいだけだ。こんな事が他にあるだろうか。私たちはいつも何かに強いられて行動し、考えて算段をし、次は何をして次、何を片付けて、と時 間を過ごしている。時間は追い立てるように私たちを忙しく動かしている。それが日常生活の全てのように感じる。ところが、今は何も考える事もしなくてい い、時間の経過をたのしむ、時間を遊ぶような贅沢をしている。そして、心臓の鼓動もゆっくりとしていく。手のひらも温かい。呼吸もゆっくりだ。外の気配は 感じられない。障子のさんがきれいだと感じられる。やわらかいひかりが心地よいと感じられる。ただ、時間を味わう。幸せだと感じられる。
また、 合図があって座禅は終了です。ちょっと達成感がある。ほっとした。ちょっと元気になったようにも思う。体のなかにいい空気が入ったようにも感じる。その 後、和尚さんから座禅の姿勢や呼吸について具体的なお話がありました。道元さんの書物にちゃんと書いてあるそうで、わかりやすいのも座禅の一部なのかもし れません。
雨の中、車を走らせて家に帰り、清々しい一日が始まりました。

2011年10月10日月曜日

はじめての写経

土曜日、初めて写経をしました。6月に母が亡くなって、何か供養になるような事をしたいと思っていたのです。
午後、市内の曹洞宗のお寺で、市民 教養講座の一環として開催されました。庭のきれいなお寺には写経のための立派な和室も用意されていて、正座して写経できます。30人くらいの参加者でし た。まず、墨をすります。これは各自持参しました。つぎに和尚さんの講話があり、つづいて般若心経をみんなで唱えるのですが、私は初めてなので戸惑いまし たが、歌を歌うように声をだしました。そして、いよいよ書き始めます。和紙に般若心経が薄く印刷されているので、その上を小筆でなぞるわけですが、難しい です。筆など使った事がないので、神経を使います。
集中して一字一字、丁寧に書きます。部屋の中は静かです。物音ひとつしません。30人もいる のに一人で書いている気がします。はじめは不安でした。しかし、やり遂げることが母への感謝につながるとおもって集中しました。そして、途中で足が痛くな りました。すこし足をくずして書き続けました。
しかし、まわりが気になることはありませんでした。
一人一人が集中しているからでしょう か?最後に近づくと嬉しくなりました。安堵感と達成感がありました。母への感謝を表す事ができたと思います。般若心経の意味もわからないのに、という思い もありますが、これはあとから勉強するつもりです。そして、文字も印刷されていた文字とは違ってわたしらしい文字になりました。満足できる文字になってい ました。気持ちよく書き終わることができました。約1時間半、時間が止まったような感じがしました。外に出るともう夕暮れでした。
書き上げた般若心経は母の仏壇にお供えしました。

2011年8月19日金曜日

母をうしなう

毎日、暑い。母が亡くなって2ヶ月がたとうとしている。慌ただしく目が回るように過ぎて行った。そして、新盆を終えた今、しみじみとした喪失を感じてい る。もう、どこにもいないのか。ここ十年くらい、母はもう生きる意欲も力もなかった。子育てを終え、父を失い。家も道路の拡張で失った。何を糧に生きて 行ったらいいのか、もう解らなくなっていたようだ。あきらめといらだち、無力感と孤独に押しつぶされていた。娘の私にそれを埋めることは出来なかった。大 きな病に苦しめられ、入院や手術といった延命もなかったが、それでは幸せだったかと言えば、そうではなかったと思う。人の晩年はそれまでの功徳や努力には 関係ないようだ。しかたなく運命を受け入れるしかないのかも知れない。そして、死後のことなど考える必要はまったくない。母はその通りだった。潔く、頑固 で、譲らなかった。  その母の価値観はたしかに私たち娘にそして孫に受け継がれている。日々、懸命に生活し、一人どこかへ行ってしまった。探してももう みつからない。

2011年8月8日月曜日

お気に入り

2011年7月18日月曜日

なでしこ 世界一

早朝 起きました。
なでしこジャパン すごかった。
諦めない 粘り強い 最後までがんばりました。
ありがとう  うれしいです。
女の子でも出来るんです。やれるんです。
すごい おばさんも勇気がわいて来ました。
大和撫子 なんて古くさいですが、これいい名前かもしれませんね。
だって世界一ですから。

2011年7月1日金曜日

母を失う

  突然でした。母は85歳で消えてしまいました。死んだわけですが、実感はありません。しかし、物になってしまった母は消去するしかなかったのです。後悔ば かりです。なんて親不孝な娘だったことか。さぞ恨んでいると思います。勝手なことばかりしました。これからずっと悔やんでいくと思います。
残されたわけですから、当然ですが母に幸せな時間が確かにあったことだけ、願うばかりです。
これから、本当に親離れしなければなりません。60近くなって、泣き言ばかりで恥ずかしいです。さみしいですね。

2011年6月14日火曜日

嘔吐 下痢

  梅雨に入って、蒸し暑くじめじめと何となく体調がすぐれない日があります。人によっては低気圧のせいだと言う人もいます。また、曇り空のどんよりした空気 が気分も落ち込ませるとか。時に冷たい風が皮膚を刺激して自律神経をさかなでするようだなんて言う人もいます。私も腰痛は季節の変わり目の、寒暖の激しい 時期にやってくるように思いますが、さすがに今回の嘔吐に下痢にはまいりました。それに今回はダーリンも同じ症状です。はじめに私が夜中に急に腹痛、そし て嘔吐、苦しい事。ついで下痢。とても眠れません。すると、明け方にこんどは夫が、トイレに駆け込み、同じだ。すぐに食中毒を考えましたが、二人だ食べた 夕食はハヤシライスにみそ汁、トマトにカボチャの煮付け、生ものはないし、しっかり火を通したものばかりです。二人でうーんうーん言いながら、よく朝、医 者に二人して飛んで行きました。見立ては風邪。お腹に来る風邪でしょうとの事。お薬をいただいて、帰って来ました。風邪を二人してひいたということでしょ うか? 熱もないので食中毒ではなさそうです。 昼はオートミールになりました。
二人して病休をとったなんて初めてです。

2011年5月11日水曜日

新しいメガネ

 メガネは十年ほど前から使うようになった。近視です。子供に寝床で絵本を2冊読んであげるのを日課にしていました。きっとそのせいだと思うのですが、40 代から車の運転にはメガネが必要になりました。また、パソコンを仕事で使わなければならなくなったからです。しかし、なかなか慣れずに、取ったり外したり が日常的でした。ところが、50代になると近くの文字が見えずらくなりました。仕事上困るので、遠近両用のメガネを作りました。けっこう値段は高かったと 思います。おまけに肩こりや目の疲れも起きて来ました。年のせいかもしれませんが、、。そして、5、6年たったのですが、相変わらずメガネは不自由で好き になれません。特に食事をするときは必ず外してしまいます。美味しいものを食べるのに邪魔に感じるのです。ヤレヤレです。
夫がメガネを作り替えるので、私も便乗して新調することにしました。ところが、これがまた遠近両用レンズが高くなって、思いもよらない値段です。
最近のメガネチェーンの安売りが広告され、ずいぶん安いですよね。どうなのかな?どこか違うのかな?なんだか納得出来ずにいたのですが、注文してしいました。ちょっと後悔したのですが、これも私の優柔不断の結果と諦めました。
どうして、本来は値段が高かったものが、こうも安く売られるような事がおこっているのでしょうか。
焼 き肉だって寿司だって本来は値段のはるものだったはずです。それが全国チェーンの格安店が大々的な広告で安さを強調する。これで、ずいぶん古くからの小売 店は店を閉めたように思う。これも時代なのだろうが、安かろう悪かろうはないのだろうか。安いのは確かに魅力だが、高いものを大事に長く使うとか、特別の 時に思い切って食べに行くとかがなくなったようにも思う。ものがあふれ、安ければいくらでも欲しい。という感覚はかなしい現象かもしれない。

2011年4月24日日曜日

憂鬱な腰痛

3月11日の大震災以来、緊張が続いたせいか、また腰痛に悩まされています。被災地でなくとも原発事故ははっきりしない、よくわからないが重なって、不信 感を増長し、何を信じたら良いのかとまで考えると、緊張が背中全体に蓄積して、1週間前から立っている状態がつらいです。そして、仕事も4月は慌ただしい ですから、これもよくないですね。

ゴールデンウィークはいつも体調不良で横になっていることが多いので、今年もそんな感じになりそうです。
そ れにしても、この震災で何か変わるのかもしれませんね。故郷が大切だったり、弱者はやはり老人だったり、子供は希望だったり、人のために何かできるように なりたいとか、便利がじつは過剰だったり、自然は恐ろしくかつ偉大だったり、浅はかな人間の知恵は災害を生むだったり、、、。
いろいろなことがわかったような気がします。

そして、私はストレスに弱く、それがいつも腰痛になる。

2011年4月10日日曜日

お花見

 近くの公園にお花見に出かけました。朝はやい方がいいと思い出かけたので、のんびりと出来ました。自粛ムードでぼんぼりや垂れ幕などはありませんでしたが、かえって良いと思います。大きなBGMもなし。ただ、ただ桜の下を歩く。これが一番だと思います。
ところで、桜の木にも寿命もあるんでしょうね。確か、この桜は30年前にはなかったように思うのですが、これから40年、50年と元気に咲き続けてくれるでしょうか? 後、何回桜を見る事が出来るだろうか?などと悲観的に思うようになると、この先、この桜、大丈夫なのかしら? なんて考えます。この春の桜の花のためだけに大きな労力が必要と言うのであれば、ちょっと桜びいきも考えものだなと思ったりもします。後、1週間もしないうちに、みごとに散ってしまう桜にこれはど日本人は熱中し、気にかけ、おしむ気持ちもひとしお、慌ただしい日常をさらに追いかけるように桜を追いかける。おかしなものですが、これが日本の春でもあるようです。

2011年4月5日火曜日

新年度

 4月は新年度の始まりです。人事異動などでお世話になった人ともお別れだったりすると、さみしい気分になってしまいす。毎年のことですが、だんだん新しいことに負担を感じるようになっているので、慣れ親しんだ人や物、場所と別れるのはつらいものです。
私の職場でも突然のことながら、さみしいなーと感じ、さらにすこし落ち込む気分です。まして、今年は大震災で人の命さえ虚しく、どうすることも出来ないことが突きつけられると、さらに憂鬱になってきます。
今日は休みを取って、気分転換をはかったのですが、テレビは連日、被災者と原発と放射性物質のニュースばかりです。買い物にも行きましたが、何となく以前とは違ってしまった気がします。
新年度、新入生や新入社員を暖かく迎えたいと思っています。フレッシュさが今は何よりですから、、。

2011年3月21日月曜日

ここ数日

大震災後、ここ数日は体が揺れるような感じがして不安でした。テレビの映像も直視できないようなものです。生身の人間の許容範囲にも限界がありますから、、。それに計画停電、ガソリンの不足といままでの生活がすべてストップするような事態です。
家に閉じこもり、気分の憂鬱、ただただ頑張ってと念じるのも力不足のかぎりです。
いつものように生活する。いつものようにおだやかな気持ちで過ごす。心がけてはいるものの、被災者の方々の不幸に申し訳なさだけが、こころにひっかかります。
そしてダーリンはせっせとオイルランプ作りに熱中しました。停電に備えて、簡単に誰にでも作れて、安全はランプ。行灯のように油を燃やして明かりにできないか。江戸時代の行灯を目指します。灯芯はティッシュペーパーで出来る事が分かりました。それを受ける物は最初は油に浮くものを考えて、オイルフロートの仕組みを作りましたが、けっこうこれが手間がかかります。そこでこんどはスチールウールの台所たわしを薄くして丸め、そこに灯芯をさし、小皿に入れて、そこにサラダオイルを流し込めば、ランプになります。これはいいというので、彼は作り方をプリントして私が実物を持って、ご近所に配りました。大変喜ばれました。しかし、スチールたわしがなかったらどうするの?というので、彼はさらに研究を重ね、ついにアルミフォイルで灯芯を挟み込み、これをくるくるまいてコイルにして小皿に置き、オイルを注いで、ランプになる事を実験し、約3時間は燃え続けることが実証されたのです。
すばらしい。?
さらに、これは簡単で小さくて、封筒にも入れられるので、早速、親戚一同に送る事にしました。ちょっと熱が入りすぎたようですが、なんだかこの数日、家に閉じ込められているようだったので、彼はこれに集中したのだと思います。私もまとまった読書をしようとしました。黒鉄ヒロシの「千思万考」面白かったです。日本の歴史の主要人物、とくに近代の指導者のコラムでしたが、日本人の素晴しさに感銘しました。私たちは彼らの子孫です。今一度、この国の歴史を深く学ばねばと思いました。

2011年3月16日水曜日

震災の言葉

3月11日の大地震、大津波、原発事故、余震、これが大惨事だという衝撃におののき、不安がつのり、息苦しくなります。
日本列島が何か得体の知れない力に覆われ、壊されそうになっているようです。
平常の生活を心がけ、冷静にそして、微笑みを絶やさないようにしたいです。
気持ちは揺れ動き不安ですが、大丈夫だよ。と言いたいです。
震災という言葉はあの戦争を連想させます。スーパーで出会った年配の女性は「戦争の時を思えば、外地にいた方を思えば、大丈夫。食べ物がなくなっても、畑があるわ。どうにかなるわ」とおしゃっていました。さすが戦中派といわれる方々は肝がすわってます。おろおろスーパーで買いあさる人に「ここは、困っている人のために買い控える方が大切よ」と諭されました。
日本人の我慢強さ、思いやる気持ち、礼儀正しく、恥を知る心、大切に思います。


2011年3月12日土曜日

巨大地震

3月11日午後2時46分 三陸沖を震源とするマグニチュード8.8の地震が発生しました。さらに巨大津波が東北地方の東海岸の諸都市を襲い、壊滅的な被害をもたらしました。多くの町は全滅のようです。地震には慣れている日本ですが、さすがにこれだけ広範囲に及ぶ地震でかつ大津波では死者の数も想像出来ません。
私は職場で仕事中でしたが、おおきな横揺れが5分以上つづいたと思います。おそろしくて立っていられませんでした。音も聞こえたように思います。空も真っ暗でこの世の終わりかと思いました。
自分のまわりが全て混乱して目が回るような気持ちになりましたし、動悸もはげしくなり、息も苦しくなりました。胃は痛みだし、頭痛もして来ました。それでも30分ほどで収まったような気になりましたが、余震も続き、とても安心出来ませんでした。気持ちを落ち着けるのは,本当に時間がかかります。帰宅は自家用車でラジオを聞きながら運転して来ましたが、まるでいつもとは違う様子でしたし、私も不安でいっぱいでした。家に着くと、大きな破損はなく。台所に蜂蜜の容器が落ちていて、蜂蜜が床に流れているだけでした。本箱、食器棚等は大丈夫でした。電気も、水道も電話も通常どおりだったので、よかったと安堵しました。
夫からは家に電話があり、今夜は交通機関が全て不通になっているので、役所に泊まることにした、との事でした。娘は会社の手配したレンタカーで同僚と相乗りでアパートに向かうというメールが入りました。おばあちゃんのところへ行くと、地震の直後はマッサージに人が来ていて心強かったようです。なんの被害もありませんでした。
私は一人で夜を過ごしたが、余震が時々あって、ゆっくり眠れませんでした。本当に不安でおそろしい夜でした。
夜中の3時に娘は無事にアパートに着いたという連絡がありました。夫は翌日、電車を乗り継ぎ、埼玉に住む私の妹の車で送ってもらい、帰ってくる事が出来ました。
このような地震は初めての経験です。これからいろいろ被害が明らかになると、歴史的な大惨事ということになると思います。

2011年2月27日日曜日

バードウォッチング キッズ

 今日はとてもいい天気でした。近くの沼に二人で鳥を見に出かけました。もう暖かくて春の日ざしです。桜はまだまだですが、梅はほころび、ロウバイは見頃を過ぎました。
沼の鴨もほとんどがお昼寝中です。白鳥はそろそろ北へ帰る準備でしょうか、さかんに声をかけ合っています。編隊飛行の予行演習もしていますね。
歩 いていると、小さな男の子が望遠鏡を抱えて走って行きます。後からお父さんも一緒です。すぐに三脚を立てて、のぞき始めました。真剣です。「サカツラガン が来ていると聞いたんですが?」お父さんに聞かれて、いますよ、と教えてあげると、男の子もうれしそう。「どこから来たの?」聞くと、なんと世田谷からだ そうで、遠くからありがとう。「何年生?」「4年生です」こんな小さいときから鳥を見てたら、大人になって見るものなくなちゃうよ。でも仲の良い親子なん だなー。と思いました。「のぞきますか?」なんてレンズを勧めてくれて、ありがとう。「あ、アメリカコハクチョウだね」「ちょっとちいさいんだね」会話も 弾みました。バードウォッチングは年配の男性が主流でしたが、最近は女性に子供と幅広くなって来ました。そういえば、先月は小学校1年生の男の子にも会い ました。カワセミをすぐに見つけて、カメラに収めてました。
これからは、こんなキッズに会うのも楽しみになって来ました。

2011年2月19日土曜日

田舎町

 日曜日、買い物にいつものように出かけるが、町の商店街は軒並みシャッターを下ろし、ゴーストタウンのようだ。ここ数年ですっかり活気を失った。八百屋、 魚屋、肉屋、洋品店、本屋、靴屋、花屋、、。店を閉め、後継者は勤め人になるか、都会に出て行ったきりだ。こんな町が日本中に広がっているのだろう。ます ます都会との格差は広がって行く。東京は宇宙都市、不夜城のごとく人は深夜までうごめく。しかも、ラシュも渋滞も以前よりひどくなっているようだ。
いつからこうなってしまったのか。
若い時は都会は魅力的だった。しかし、そこが長い生活の場になれるだろうか。人生のゆとりや安らぎをもてるだろうか。中年になって、田舎でのんびり暮らしたい。と思っても収入を確保できる仕事はない。年金でのんびり暮らせるか、と言えばとんでもない。
私は田舎育ちの人間なので、時にこの封建的で時代遅れの町が大嫌いになったこともあった。今でもそう好きではない。しかし、この寂れように、あきらめと落 胆が同居すると、年とった母のように絶望的な気分になる。まだ、五十代だが、この先、何か楽しいことがこの町にあるのだろうか?
あらたな、全く違う町づくりが必要のように思う。
限界村落の一歩手前の、多くの町に何ができるだろうか。

2011年1月30日日曜日

サッカー 寝不足

おはようございます
昨夜のサッカー 面白かったです。アジアカップの決勝戦、オーストラリア戦、終わったのは夜中の3時すぎですから、今朝は寝不足です。そして、あれは夢だったの かな? なんて変な寝起きになってます。延長、後半での長友からのクロスに李のシュートはみごとにきまり、絵に描いたような理想的なゴールでした。疲れ た。李は在日韓国人3世で、最近日本国籍を取得しました。
エースの香川を欠き、頼れる松井も欠場と不安は多かったのですが、若い選手がのびのびと試合が出来ていたように思います。日本のサッカー選手の層も厚くなったように思います。初めて代表に選ばれて、期待に応えられるなんて、精神的にもタフなんですね。
長時間のテレビ観戦に少し疲れました。今日が日曜日で良かった。

2011年1月15日土曜日

骨董市

大寒波の到来とか、さすがに寒さも身にしみます。そんな朝から骨董市に出かけました。近くの神社では十数年前から月に一度、骨董市が開かれます。最初は店 の数も少なく、こりゃガラクタ市ではないか、と思ったのですが、最近はなじみの店もできたり、それなりにお目当ての品をさがしたり、二人で楽しみにしてい ます。ダーリンはもっぱら陶磁器の皿や小鉢、伊万里や九谷などがお目当てです。値段はお小遣いで買える程度、そして、なにより実用できる品です。あまり高 価で日常、使えないようでは困ります。それほどの金持ちでもないし、日々の料理を盛りつけて楽しめる物としています。ずいぶん集まったので、今や我が家の 食器はすべて骨董になってしまいました。漬け物や煮物など手のこった料理でなくとも、なんとなく上品に見えます。小さな厚焼き卵も豪華に見えたりします。 ダーリンは買ってきた品を調べたり、記録したりするのを楽しんでいます。
私は予算は千円以下、つまらないものばかりですが、おもしろい物がお目 当てです。今日は何もありませんでしたが、イギリスのティーカップとか、アフリカの小さな革製の小物入れとか、ソビエト?の木製の入れ物とか、実用にあま りならないものばかりです。うーん、目利きとはいえませんね。
でも、お店の人と「これ、なんですか?」「なつかしいですね」「よくのこってましたね」なんておしゃべりをしながら、ぶらつくのが楽しいです。
今、流行のもののいいですが、昔の物もいいですよね。

2011年1月2日日曜日

Happy new year!

2011年1月1日  一並びで明けました。
天気もおだやかで、初詣もしずかなお参りになりました。家族3人 今年もすこやかに過ごせますようにとお祈りしました。
義理の父は86になります。一人暮らしです。現役で仕事をしています。マイペースで趣味や旅行を楽しんでいます。愚痴や弱気なことは聞いた事がありません。無理しているのでしょうか?
母は85になります。一人暮らしです。病気だと言っています。一歩も家から出ません。毎日、嘆き、悲しみ、死んでしまいたいと言います。甘えているのでしようか?
この二人を見ていると、自分の行く末を思います。
年を重ねる事は戦い、挑戦、乗り越える課題は日々続いて行くという事でしょうか。
年をとれば、悩みも煩わしさもなくなると思っていました。どうも違うようです。
これからは、詩人のように自分を見つめ、外界をそして、内面を探求できるようになっていたいと思うのですが?
はたして、私の前に広がる荒野はどのようなものになるのでしょうか?
皆様 良いお年をお迎え下さい。
これからも、よろしくお願いいたします。
I wish you a happy new year.