2012年5月21日月曜日

金環食とお茶会

まず、今朝の金環食に感動でした。スーパーで買ったレンズを通してリングを見る事ができたので、うれしい気分です。なんと我が家の玄関先の木漏れ日が水玉になっていたのもおどろきました。宇宙は不思議だらけですね。
そして、昨日お茶会がありました。私は初めての事です。お茶を始めて一年足らず、着物を着るのも帯を結ぶのも自分で出来るようになったのはつい最近です。 まだまだ不安だらけです。まして、人前に出て着物でお辞儀をするなんて、、。朝から大忙しでしたし、緊張の連続です。まだお手前を披露する事などできませ んから、半東としてのお役をこなすのが精一杯でした。しかし、あんなにお客様がいらっしゃるとは思いませんでした。百人以上だったと思います。六席の茶会 になりましたので、休む暇はありません。もちろん先輩方がたくさんいますから、気を使います。先生も席主として大変緊張していますから、ちょっとした言葉 も注意しなければいけません。さらに東京からおお先生方三人がおみえになったので、さらに緊張です。しかし、どうしてあのようにゆったりとしていながらき りっとした立ち振る舞い、言葉遣いができるのでしょうか?着物も品よく、馴染みやすい面持ちです。八十ちかいと伺いましたが、これも修行の賜物なんでしょ うね。
本当に疲れました。お茶もお菓子もお預けでした。

2012年4月22日日曜日

着物の時間 その4

桜も散ってしまって、今日は薄ら寒い一日でした。近くの沼に散歩に行きましたが、マウンパが必要でした。しかし、ツバメが元気に飛び回り、せっせと巣の材料を集めていました。
お茶のお稽古を始めたのと、母の残してくれた着物があることで、急に着物を着る機会ができました。難しいと思っていた着付けもどうにかできるようになりま した。そんな時に「きもの自在」という鶴見和子さんの本をみつけました。20年くらい前の本ですが、たいへん面白かったです。着物に対する考え方がファッ ションということでなく民族衣装ととらえ、日本の日常の女性の衣服と位置づけていることに共感しました。そして、民族学の柳田国男の説を引用したり、民芸 運動の柳宗悦の活動とリンクしていたりして、国際的な文化人類学者としての理論が展開している事は興味深いものでした。また、彼女の身の回りの日常的な着 物へのかかわりが平素で丁寧なことも感動しました。年をとっても着物とともに背筋をしゃきっと伸ばして、生活する姿は見習いたいと思いました。また、鶴見 和子の学者としての仕事にも興味を持ったので、少し著書をよんでみようと思っています。

2012年4月15日日曜日

着物の時間 その3

桜の満開も今日までかもしれません。いたるところで桜の花の咲き誇る様子がみられるのは不思議なものです。どうして、一度に咲いてしまうのか、、。順番に 少しずつという訳にはいかないのですね。一気に咲ききろうとするエネルギーと散り際の潔さが日本人の好みなのでしょう。今年も桜を満喫しました。そして、 この美しさをどうにか記憶にとどめたいと願っても、やはり時間とともに消え去っていく、もう桜ではなくなっていく木々に無常まで読み取ることがあります。
母の着物で不思議なのは、大島紡ぎが3着も出てきました。それも似たような柄で、羽織も作られています。まだ、仕付け糸がついている状態です。自分で着る にしては、おかしなものです。私たち三姉妹のために作っておいたようです。しかし、今時、大島紡ぎで生活するような女性はいないのに、どうしてなのでしょ う。私たち3人に小紋や付け下げ、振り袖などの晴れ着になるような着物を二十歳前後に作ってくれました。そして、結婚するときに持たせてくれたのですが、 大島の事は聞いていませんでしたので、母の意図するところがわかりません。これを着てお正月でも過ごしてほしいと思っていたのでしょうか。残された大島紡 ぎは高価なものではないようですが、時代遅れのように思えて、どうしようかと考えています。定年後、私が着るのがいいのでしょうね。
母は何も言わずに箪笥にしまっておいたままでした。

2012年3月18日日曜日

着物の時間 その2

春といえどもまだまだ寒い日が続いています。今日は一日中、雨降りでした。
昨年の6月に亡くなった母のタンスをやっと開ける気になって、先週の 天気の良い日に桐の箪笥を開けてみると、たくさんの着物と帯が出てきました。もちろん母自身のものもありますが、さらにおおばあばちゃんと呼んでいた、私 の祖母のものまでしまってありました。明治生まれの祖母のものはさすがに、とってあるとは思ってもいませんでしたが、母は捨てられずに一番下に置かれてい ました。色は黒、粗末な紬で農家の老人が大事に身につけてした訳で、だいぶいたんでいます。しかし、母は捨てられなかったのです。
そして、母の 着物も若い頃の銘仙や帯、当時のはやりだったのでしょう。鮮やかな色と模様です。おしゃれした独身時代の一張羅は大切に持っていたかったのでしょう。結婚 してからはとても着物を買う事ができるような経済状態ではなかったはずなので、せいぜい子供の入学式や卒業式に着るための色無地の着物に名古屋帯です。そ れはそれは大切にしていたのを覚えています。きっと母の晴れ着はそれだけだったでしょう。やっと自分の着物を自分で仕立てられる喜びは、妻として母として の喜びにつながっていたと思います。その紋織りの色無地の着物を今度のお茶会で着ようと思いました。母が着た年より私はずいぶん年をとりましたが、母の幸 せな気分を思い、母の人生のあとをなぞってみたいと思っています。

2012年2月12日日曜日

着物の時間

年が明けて新年を迎えたのですが、どうも晴れ晴れとしない日が続いています。去年6月に母が亡くなって、帰る家もなくなったことや、定年が迫ってきて今後 どうするのかも考えます。ダーリンも非常勤のつとめと言えども4月からは部署が変わって不安そうです。あれこれ考えると、いったいいつになったらのんび り、安心するのか考えます。しかし、どうやらこれからもあれこれ、考えながら、ますます迷いも不安もつきないようです。
すると、小さな瞬間の満足や喜びに一段と心おどることに気づきました。漠然としたふたしかさに心を奪われるより、花がきれいだ、月が美しい、おいしいお菓子だ、心地よい日だまりだ、なんてきれいな音楽だ、などなど、小さな喜びに感謝することが多くなったように思います。
具体的で、実質的なことに満足したり、安心したりしているのだと気づきます。ですから、ささやかな自分の好きなものを大切にすることなのでしょうね。
今年は着物を自分で着られるようになりたいと思っています。やっと着物をきる年になったように思います。素人の女性が着物を日常に取り込むには、時間が必要だったのかもしれますん。亡くなった母が残してくれた着物をありがたく着てゆこうと思っています。